About Canada

今更ですが、カナダの歴史について調べてみた!(カナダ自治領が出来るまで)

月日が経つのは早いもので、カナダに住んでもう少しで10年になります。

ですが、カナダで小中高の教育は受けていないので
カナダの歴史については全くと言っていいほど
知識がありません。

イギリスから独立した非常に若い国、
くらいの認識しかありませんでした。

日本からワーホリ、留学、旅行など、
どんな方法であれカナダに一度来てほしい、
と思っているくせに、
その国の歴史を知らないのは良くないなと思い、
調べてみました。

カナダの歴史ついて自分なりに調べてみると、
とても興味深かったので、
何回かに分けてここで紹介したいと思います。

既にカナダに興味がある人、まだない人、来たいと思っている人などなど、
皆さんに少しでもカナダのことを知ってもらえると嬉しいです。

「カナダが生まれた日」

ワーホリや留学などで、
一年以上カナダで生活したことのある人なら
知っていると思いますが、
カナダにも日本でいう建国記念日のような日があります。

7月1日のカナダ・デーです。

カナダという国の生い立ちを説明するにあたって
まずはカナダ・デーについて触れましょう。

この日は街にメープルリーフが描かれたTシャツを着ている人があふれ、
手には小さなカナダ国旗を持ち、
夜には花火が上がるという、
これ以上ないお祝いムードになります。

さて、このカナダ・デーとはどんな日なのでしょうか。

結論から言うと、この日は建国記念日ではありません。
厳密には、カナダが独立に向けて動き出した日ということができます。

まず、7月1日とは1867年7月1日のことです。
この日、イギリスがイギリス領北アメリカ法という法律を発効し、
オンタリオ、ケベック、ノヴァスコシア、そしてニューブランズウィックの4州からなる
「カナダ自治領(ドミニオン・オブ・カナダ)」が誕生しました。
この時点ではまだ国ではなくイギリス領でした。

その後、マニトバ州、ブリティッシュ・コロンビア州、
プリンスエドワード島州、サスカチュワン州、アルバータ州、
最後にニューファンドランド州が1949年に加わり現在と同じ10州になりました。
ですが、この時まだ自治領であることには変わりありません。
つまり、7月1日のカナダ・デーとは、カナダ建国を祝う日ではなく、
本来はカナダ自治領が誕生したことを祝う日なのです。
実際、この日が「カナダ・デー」という名前に変わったのは1983年で、
それまでは「ドミニオン・デー」という名称でした。

次に、このドミニオンについて説明します。

1867年に「カナダ自治領(ドミニオン・オブ・カナダ)」ができる以前は、
カナダの土地はイギリスの植民地とイギリスの特許会社「ハドソン湾会社」の領地でした。
イギリス領内にはノヴァスコシア、ニューファンドランド、プリンスエドワード島、ニューブランズウィック、連合カナダ、ブリティシュ・コロンビアの6つでした。

1860年代、この6つの植民地のうちブリティシュ・コロンビアを除く東部の植民地が、
一つにまとまる動きが起こりました。
そして、ノヴァスコシア、ニューブランズウィック、連合カナダの3つの植民地が「カナダ自治領」として結束することになりました。この時、連合カナダはフランス系が多いケベック州とイギリス系が多いオンタリオ州の2つに分かれました。

このように、ノヴァスコシア州、ニューブランズウィック州、ケベック州、オンタリオ州がまとまって「カナダ自治領」となりました。
これらのそれぞれの州には州政府が置かれ、州内の問題を扱い、オタワに置かれた連邦政府がすべての州に及ぶ問題を扱いました。
しかし、この連邦政府はすべての州に共通する事柄を管理していたのですが、この中には諸外国との交渉や条約を結ぶことなどは含まれていませんでした。外国との交渉は、引き続きイギリスが行っていました。
つまり、この時点では「カナダ自治領」は独立国家とは呼べませんので、1867年に独立したとは言えません。ですが、この日を「カナダ・デー」としているのは、やはりこの日からカナダが独立に向けて動き出したと考えられているからです。

その後、時間をかけて領域を拡げ、1949年に今と同じ10州と3準州となり現在の正式名称「カナダ」になりました。

次回の記事では、カナダが自治領から一つの国家のなるまでの歩みをもう少し詳しく説明したいと思います。